アマリアに会いにゆく 1冊の本
- 2015.09.30
11月にピアニストのジュリオ・レゼンデさんとコンサート「アマリア」を開催するにあたり、
ここ何か月間は世界屈指の歌姫、故アマリア・ロドリゲスを追っています。
どんな人だったのか、何を憂い、何を愛し、どう生きて、そして歌ったのか。
私がファドを歌い始めて12年が経とうとしていますが、偉大なるファドの女王はあまりに遠い存在です。
また素晴らし過ぎる歌唱力が故に、2003年から歌うにあたり、私は「アマリアは参考音源にしない」という決め事をしました。
ポルトガル語初心者が参考にするとファドとして成立しない超上級音源だったからです。
それ故、ある一定の時期までアマリアを参考にすることを自分では禁じていました。
決して嫌いと言うわけではありません、逆です。
それでも自然と彼女の歌は耳に入ってきますし、ポルトガルに住んでいれば、ラジオから、お店から、
ポルトガル国民が愛するディーヴァの声が聴こえて、私の中にも住みつくのです。
アマリアの悲しみが、喜びが、戸惑いが、生きることへの想いが。
ポルトガルの師匠はアマリアの伴奏もしていましたから、当時の話を聞いたり、アマリアの家にも足を運び、
また、ファドに生きる人たちから、ポルトガル国民からアマリアをどう思うかについても聞いていました。
そして、遠ざけたにも関わらず、私のレパートリーはアマリアの代表曲にあふれ始めました。
これは現地ポルトガルの歌手たちが愛し歌っていた曲を、私も愛し取り入れた結果でした。
これに気が付いた頃、ポルトガル語も多少話せるようになっていましたし、アマリアを参考にすることを解禁しました。
基本的には1曲に対し、様々な歌手の音源を聴きます。
現地の修業先のお店で何度も聴いて身体に入れることが殆どでしたが、次のステップでアマリアを聴くと、
唸るばかりでした。最終的にはそれを経て自分の歌い方に落とし込みます。
自由なようで伝統と型があるのがファド、先駆者たちの歌は宝です。
10周年の区切りを迎えた後、アマリアにとことん向き合ってみたいと考えだしました。
すると今回のコンサートの機会に恵まれました。
6月の天草ではアマリアが笑う写真が待っていました。
「これは呼んでもらえたんだ」
と、おこがましくもそうとらえることにしました。
人生において「縁」というのはそういうものだと私は思うのです。
私が歌い始めた2003年、アマリアはもう亡くなっていました。
会ったことはありません。
でも、それだからでしょうか。
余計に「アマリア」という存在が人々の心に生き続けていることを発見するばかりでした。
ジュリオのマネージャーから、ある本を教えてもらいました。
アマリアがまるで語っているように書かれた本
「AMÁLIA UMA BIOGRAFIA POR VÍTOR PAVÃO DOS SANTOS」です。
日本語版もあるので、読み進めています。
この本は前に見たことがあったのですが、その時は手にとれませんでした。
ポルトガルの文化もファドの歴史もまだわからないままだったので。
今、手にとって良かったとページを開きながら感じています。
冒頭にアマリアが言っていたことが、かつて自分も思った人生への疑問と重なったことにちょっと身震いしながら、
アマリアに会っているような気持ちで読み進めています。
アマリアを歌う、でも歌うのは私の人生、人の普遍的な感情。
FADOは今を生き、蘇り、また紡がれていくのです。
アマリアはこう言っています。
「誰かの人生の一部に、私の歌がなっている。」
なんて素敵なのでしょう。
Até logo!!