今年は自分のやりたいことに正直に生きた年でした。
3月 藤原暢子写真展期間中コンサート(弾き語り)
6月 かわさき市民アカデミー主催講座(レクチャーコンサート)
7月 CD解説執筆(訳詞付)イネス・ヴァスコンセロス「抱擁」(ライスレコード)
マヌエル四ッ谷(コロナ禍再開ライブ)
第7回教室発表会(2年ぶり!)
9月 文化庁AFF2採択事業コンサート「葡萄牙時間旅行」名古屋&東京公演
10月 大阪テアトロルセロ主催「文化の小旅行シリーズ ーファドー」
ジョイントコンサート「ファド模様」熱海公演(主催:音楽家集団CTA)
マヌエル四ッ谷ライブ
奥多摩「山のふるさと村音楽祭」(主催:山のふるさと村音楽祭実行委員会)
11月 ポルトガルギター奏者セルジオ・コスタ来日ツアー
①「第8回教室発表会」
②「ブラジル200周年記念 ブラジル・ポルトガル友好コンサート」
(主催:ブラジル大使館 ポルトガル大使館)
③文化庁AFF2採択事業コンサート「遙かなるサウダーデ」東京&大阪
12月 大分・臼杵「虹傘祭り’22」クリスマスコンサート
等など
文化庁の補助金を申請して企画したセルジオ・コスタ来日ツアーを始め、
初めてのCD解説執筆にレクチャーコンサート式講座、
新しいチャレンジを沢山させてもらいました。
お世話になっている方々からの演奏企画もいただき、
たくさんの場所に歌いに行かせていただきました。
初めての補助金申請、大がかりなポルトガル語翻訳等、
本当に大変だったけど、その先の景色はやっぱり素敵でした。
皆様にたくさん助けてもらいました、ありがとうございました。
新年は自分の心にもっと繊細にフォーカスして取り組んでいけたらと願っています。
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
Boas entradas!
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12月23日(金)は大分県臼杵市で単独コンサートでした。
ファドと臼杵郷土料理に地酒を楽しむひととき。
大友宗麟がまもったポルトガルと縁深い臼杵を、
ポルトガル文化で盛り上げようと立ち上がったのは豊後感動本舗の永松店長。
今回ポルトガルの虹傘祭りを再現し、ファドコンサートも実現してくださいました。
(「お聞き下さいワイン殿」のお相手のお顔は国宝臼杵石仏!)
ずっと行きたかった臼杵市、着いてから私の興奮たるや…
久家の大蔵にある素晴らしいアズレージョタイル、
高校演劇で上演して知った臼杵出身の考古学者 直良信夫先生、
そして愛用しているフンドーキンのお味噌の地!!
まさかの雪で飛行機も遅れ、高速道路も塞がれ、
どうなることやらとハラハラな入りでしたが無事に開催。
ファド歌手19周年を長年憧れていた場所で迎えられて幸せでございました。
皆様、ありがとうございました!
Até logo!
Tags: ファド, ポルトガル, 傘祭り, 臼杵
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時間が空きましたが、ファドコンサートツアー「遙かなるサウダーデ」大阪公演も
大成功で11月13日(日)大阪市立旭区民センターで歌い終えることができました。
雨の中でしたがたくさんのお客様にご来場いただきました。
皆様本当にありがとうございました。
「ギタリストの皆さんがとにかく楽しそうに弾いていた」というお声を多数いただきました。
はい、大切にしましたし、こうなることは必然だった気がします。
約20年間共に奏でてきた私たちのファドが大輪の花を咲かせた感覚でした。
ハーモニーを作り込む難曲、そして醍醐味の即興、
果敢なチャレンジは全て楽しかった、Valeu a Pana!
素晴しき友人であり演奏家、そして良き指導者であるセルジオ。
彼と一緒に日本人として、女性として、母として私はファドを歌いたい。
日本とポルトガルの大切な仲間と演奏したい。
その決意で春から準備をし、来日ツアーを行いました。
夏に急遽出演が決まった日本在住で世界で活躍するテノール歌手ロベルトさん。
「O Cacilheiro 連絡船」「Um Homem na Cidade 街に男ひとり」など、
難曲を繊細に、時に圧倒的な声量で大胆にきかせてくれました。
ポルトガル人の血と誇りと共に、様々な国の血も持つロベルトさん、
日本人の私がファドを愛して歌うことを大事に受け止めてくれました。
「日本人なのにファドを歌うの?!」これはポルトガルでよく聞かれたこと。
多くの人が歓迎してくれたけど、批判も嘲りも受けた修業時代、
いつしかこの質問は「ポルトガル人じゃないとファドを歌ってはいけないの?」と
感じるようにもなってしまっていました。
ポルトガルの魂と言っても過言でないファドを歌うには国籍は大きな壁でした。
乗り越えて頑張ろうという大きな力にもなったけれど、
心のどこかに棘のように刺さっていました。
ファドは大好きになるばかり、でもどこか遠い、
まるで大いなる片思い・・・。
でも、このツアーが終わって、ふと気付くと棘は消え去っていました。
迷いなくファドに生きることが出来たからだと思います。
ロベルトもセルジオも私に「日本人なのに」とは言わない。
言うのは「ファドが好きなんだね、素晴しい」。
日本人ギタリストたちのことも大切に扱ってくれました。
コンサート最後、歌い上げ終わりに溢れた涙は
「ここまで来た!」と溢れた感情、
ファドに生きている自信が内側から生まれたものでした。
「ポルトガル人じゃないとファドを歌えないの?」というのは、
私の不安や弱さから生まれた言い訳だった気がします。
今は何も怖くない。
準備から全てを見ていた幼い娘も大阪公演に帯同しました。
大阪公演は最初から最後まで聞いて、
曲が終わる度に一所懸命拍手をし、
覚えた出演者の名前を隣の祖母に伝えていたそうです。
ファドと生きる母をありのまま好きで居てくれています。
「日本人」が付こうが付くまいが、私は「ファド歌い」。
ファドとこの人生を謳歌していきます。
ありがとう。
Até logo!
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